廃虚

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遊戯王VRAINS雑感。

 遊戯王VRAINSも色々なゴタつきがありつつ一年以上が経とうとしています。そこで今までこの作品を視聴してきた中で作品について、そして遊戯王シリーズについて感じてきた事を纏めたいと思います。

 

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率直に言って、私は現状遊戯王VRAINSという作品を高く評価していません。その理由は3つあります。

一つ目の理由は、登場人物のカードゲームに対する姿勢です。この作品では、復讐の為など、自分の目的を果たすためだけにデュエルをやっていて、デュエルそのものと真剣に向き合っているようには感じられません。極論を言ってしまうと、彼らがデュエルを使ってまで自分の目的を果たしてしまった時、彼らにはデュエルを続ける理由があるようにはとても見えないし、推測できる材料も不足しています。要約すると、販促物である競技に対して誰も乗り気でない販促作品であるという点が気になる点の一つ目です。

 2つ目の理由は、デュエル描写の雑さです。ここは個人的に最も気になっているところです。私はOCGからは離れているため、細かいプレイングミス等は気にしないようにしています。

 しかし、この作品のデュエル描写は改善点もあるもののその内容を理解させようとする気が感じられません。例を挙げるならば、本作では、新型デュエルディスクを使うキャラの手札は見えない事、伏せカードの枚数が見えない事、そしてもっとも深刻な点がリンク召喚という概念はモンスターの配置されている位置が重要にも関わらず、モンスターがどこに配置されているかが一瞬盤面を映して終わりになることが多い点です。

せっかく映像という媒体を使っているのだから、口頭で効果を説明するだけでなく5D'sやZEXAL初期のように視覚を利用して視聴者にわかるようにしても良いと思うのですが…

 設定に直接関わっていないと思われる演出家の方々に言うのも筋違いだとは思いますが、両手が空いたことでアクションの幅が広がったとアピールしている所からして前提がズレているような気がします。

 

 

3つ目は、何処かで見たことがあるような設定や話の展開の数々です。例えば、藤木遊作は不動遊星、天城カイトに共通項が多く、遊星に至っては彼の台詞を文脈を無視して引用してみせたりしています。

 勿論、過去作の設定や展開を意識した展開を「いつもの遊戯王」として好む方々がいることは理解できます。しかし私は、遊戯王VRAINSという作品を観たいのであって、間違ってもここ数年続いている遊戯王5D'sの焼増しを観たいのではありません。私は現状の遊戯王は5D'sで受け入れられた「型」に捕らわれて停滞しているような気がします。

 

2.

 ここまでは批判点を挙げてきましたが、ここからはVRAINSに対する注目点を挙げていきたいと思います。まず、ストラクチャーデッキで登場したカードを使用したり、昔のカードを使う事に関しては良いことだと感じています(但し後者は部分的)。

もう一つ注目していることは、VRAINSには絆やら笑顔などのそれらしい言葉に代表される、各々のキャラクターを繋ぐ土台となる概念が今の所見受けられない点です。これは空中分解する危険性が高い事が危惧されますがキャラクター間の共感性を極力排除することで「同じ経験をしたからと言って同じ思想、同じ行動を取るとは限らない」というテーマを意識しているのかな、と今の所考えています。

 

3.

 1で述べてきた事を理由に、そもそも私はWRGP編の5D's以降の遊戯王シリーズは面白い作品だと感じていません。遊戯王シリーズでは世界の命運を分けるアイテムとしてのカードゲームという視点に偏りがちでマンネリ化がありますが、GXや5D's初期のようなキャラクター達がそれ自体に拘りや理念を持つ競技としてのカードゲームという視点では、まだ表現できる所があると思います。

最後に、原作者の高橋和希さんが「自分にとっての遊戯王は終わった」と言ったこと、FRAIMING ETERNITYからパックの表紙に王が消えたことは、原作遊戯王からの脱却としての象徴だったのではないでしょうか…

 

遊☆戯☆王 (38) (ジャンプ・コミックス)

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