廃虚

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遊戯王ARC-Vとは何者だったのか再定義したい

遊戯王ARC-Vが一月一日からAmazon prime video で配信されることとなりました。

Prime Videoの新着タイトル配信予定 - Prime会員特典対象タイトル| Amazon.co.jp

 この作品のあらすじは弊ブログを読んでくださる方々ならば理解していると思いますのでざっくり記述しますと,父親の失踪以来ふさぎ込んでいた主人公が一歩を踏み出し,プロデュエリストになる為に活動していく中で自分たちの世界が抱えている問題に直面し,人々をカードゲームを用いて笑顔にするために行動するようになっていく…というものでした。

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そんな本作は,放送当初は評判が良かったものの2年目以降批判が目立つようになり,3年目の夏以降はほとんど批判一色に染まり,最終回のニコニコ生放送のアンケートでは1のとても良かったが2.8%になり『炎上問題記事』が作成されるなど,かなりのボヤ騒ぎ(?)だったように思われます。

しかし,この作品は本当に頭ごなしに完全否定されるべき作品だったのでしょうか。私自身としてもこの作品は様々な問題を抱えていたとは認識していますが,それと同時に様々な評価すべき,今までの遊戯王シリーズでできていなかったことが出来るようになったなども有ったはずです。

 放送が終了して2年がもうすぐ経過し,時が流れ熱狂が冷めてきた今ならば,かの作品の何が良くなくて,何が良かったのか私たちはゼロベースでもう一度考えていくことが出来るのではないかと考え,私はこの記事を作ろうと考えました。私も当時は辛らつな評価を下しており,このバブルの形成に寄与することになったことは否定できません。だからこそ私にはこの作品ないしは遊戯王シリーズについて考えていく責任があると考えています。

 

dic.nicovideo.jp

 

 

問題点

まずは本作の明確に悪かったと考えられる要素を挙げていきましょう。ここで挙げるのは

  1. 描写不足
  2. キャラクターが思慮不足に見えること

 

この2つです。

まずは描写不足という箇所について。この作品では価値観の対立から修復不可能な状態になるまで主人公を敵対視していたキャラクターが何の前触れもなく主人公を応援しはじめたり,主人公の正体に関する設定の説明が抽象的なものに留まっていたなど,解釈の余地がないところまでかなり多かった事は否定できません。また,キャラクターが全体的に自分のお気持ちだけで動いてしまい,大局感が皆無だったのも浅ましかったと言えるでしょう。

 

良かった点

 次に良かったと言える点,シリーズ作品として成長したといえる点について触れていきましょう。これに関しては,OCGの販促や現実に即した決闘に近づいていった事を特筆したいと思います。具体例を挙げるならば,DT登場テーマであるセイクリッドやジェムナイト,Xセイバーを登場させたり剣闘獣やD-HERO,機械天使の新規カードを登場させたりした事などです。また,古代の機械のストラクチャーデッキが発売する直前の週の回でそのデッキを使って見せたり、妖仙獣を実際に使うなど5D's以降OCGの商品展開と歩調が合わなかった問題が徐々に改善傾向にある点,そして複数の召喚方法を積極的に使うようになった事は評価されて然るべきです。これは後の遊戯王VRAINSでもストラクチャーデッキに収録されたカードがアニメで使われるようになるなど受け継がれていましたが,ソウルバーナーのストラクチャーデッキが彼のデュエルが約5ヶ月無い状態で発売した事は彼のデュエルを年内に入れる余地はあっただけに非常に残念です。

 話を戻すと,キャラクターやキャラクターが使用するテーマカードに人気がある事も見逃せません。この事は11月に発売された「Link VRAINS Pack2」で【RR】【幻影騎士団】【SR】【DD】などメインキャラクターの使用テーマの新規カードが多数収録された事や,漫画版が好意的に受け入れられている所から見ても明らかでしょう。

 これは主観ですが,ユートが初登場した時のデュエルにおいては,エクシーズ召喚が初めて登場した遊戯王ZEXALよりもエクシーズ召喚の魅力や本質である課題解決としての役割如実に示した素晴らしい使い方をしていました。これは小野勝巳監督が多かれ少なかれOCGに触れている事も起因しているでしょう。

 

グレーゾーン

 最後に複数の人々の間で賛否両論が別れている要素に触れていき,自分なりの見解を下していきたいと思います。議論の対象や問題になるということはそれだけ多くの人々に考える機会を与えたという事であり,それを「意味不明」「炎上」という言葉で片付けるのは無責任であり,そこを掘り下げていくことで自分が何を大事にしているのか,遊戯王作品に何を求めているのか理解できるのだと思います。

 特に問題になっているのは

  1. 過去シリーズからのゲストキャラクターの扱い方
  2. アクションデュエル
  3. 主人公榊遊矢の提唱する「エンタメデュエル」

この3つです。

 1.過去シリーズからのゲストキャラクターの扱い方

 本作では過去シリーズからのゲストキャラクターがスターシステムとして登場しており,元の作品の同名キャラクターとは別人だと思われる形で登場しています。それ故一切感情を交えずに評価するならば元のキャラクターと言動が不一致しても問題は無いのですが,本作ではそういった文脈をカイト以外は殆ど無視されており,極論その過去シリーズのキャラクターを使わずとも問題なかったというのは批判として成り立ちます。個人的には過去シリーズのキャラクターを使う以上,その考え方や価値観は「アップデート」されていてほしいというのが本音であり,単に物語上の役目に押し込んだ所(特にエド・フェニックス)は純粋に残念でした。

 しかし〈レッドデーモンズ・ドラゴン・スカーライト〉や〈銀河眼の光波龍〉といった強力なカードやD・HEROにディストピアガイ等の有用なカードをもたらしたというのも事実であり,20周年の企画による恩恵は有ったと考えられます。

2.アクションデュエル

アクションデュエル。これはAカードというフィールドに落ちているカードを拾って使う事ができるというルールで行われるデュエルの事です。個人的には作中で主人公が自分でリスクを取って構築したデッキよりも完全に何が出てくるか分からないこちらを重視しているように見え,主人公に有利に働くようにデュエル構成上運用されていた事が問題だったと思っています。しかし,ルール上Aカードを手に入れる機会は全てのプレイヤーに与えられており,ZEXALにおいて主人公が使用者の意図する通りのカードを作り出してドローするシャイニング・ドローやストームアクセスよりは余程公平だと思います。しかしシャイニング・ドローやストームアクセス,セイヴァードラゴンは認めているのにこれらよりは建前上公平であるアクションデュエルのルールのみを親の仇のように否定するというのは道理が通らない話であり,炎上記事の価値観に支配されていると考えるべきでしょう。ゼロベースで考える事を忘れないように。

3.主人公榊遊矢及び「エンタメデュエル」

 主人公の遊矢くんは「皆」を笑顔にする為に自分の父親の提唱する「エンタメデュエル」を推し進めていました。彼のエンタメデュエルはソリッドビジョンに映ったモンスターによる芸を意識したものであり,ハッキリ言ってそれをカードゲームという真剣勝負の舞台に持ち込む事は対戦相手を侮辱している行為です。それ以前に,彼のエンタメデュエルで実際に活動しているのはモンスター達であり,遊矢は何の価値も産み出していません。

カードゲームを自分のサーカスの道具にしている時点で彼にはデュエリストである資格はありません。「皆」を喜ばせたいから敵を作りたくない,というのならば有る意味互いの勝敗を決める生存競争であり,弱肉強食の世界でもあるTCGには向いていません。

 

総括

以上の通り,私は遊戯王ARC-Vはかなり問題のある作品だと考えています。しかしSNS上で散見される「ARC-Vを叩いてVRAINSを持ち上げる」行動には危機感が今一感じられないように思えます。何故ならばVRAINSに登場するキャラクターの使用したカードの大半が現状OCG化していないからです。ARC-Vの2年目終了時点ではシンジのB・Fやセルゲイの使用カードという例外はありましたが,大半のカードはOCGに出ています。デッキ外のカードを使うストームアクセスに頼る遊作もやっている事のしょうもなさと言う面では九十九遊馬大先生や遊矢と大差ありません。

また,店頭を観ていると9期時代のパックやRシリーズのストラクチャーデッキやビルドパックがすぐに売り切れたのに対してPlaymakerのストラクチャーデッキは常に売れ残っているというのも,本当にVRAINSが販促として役割を果たしているのか甚だ疑問と思わせる部分です。これらの事から,私はシリーズ近年の3作品の中ではARC-Vが最もカードゲームアニメとして良い作品だったと結論付けました。

色々と手厳しい事を言いましたが,仮に遊戯王ARC-Vを視聴していただけると言うのならば,ここに書いてある事や炎上記事の事は忘れて,自分自身で作品を視聴し,感じた事を大事にしてくださるのならば,これ以上嬉しい事はありません。