廃虚

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『仮面ライダービルド』何故エボルトは人間の心を手に入れる必要があったのか考察する

※当記事はネタバレを一部含んでおります

 

 仮面ライダービルド、一年間まずはお疲れ様でした。私にとっては初めて視聴する特撮作品でしたが、スーツアクターとして活躍していらっしゃる方々も含めた俳優の方々の演技は本当に素晴らしかったです。

 この作品は「科学」と「仮面ライダー」をテーマにしており、勢いを重視した展開で評価は賛否両論が別れたものだと感じています。放送終了から半年近く経って記事を書こうと思った理由は、終盤になってそれまで

  • 時に主人公である桐生戦兎を激しく叱咤激励し
  • 内海の狂乱に対し笑いを堪えきれなく、その愚かさに地球を滅ぼすのを辞めようとする

など、数多くの心の底から何処か人間に対し思い入れのあるような態度を見せていた地球外生命エボルトが唐突に「自らに人間の感情が無く、今までの行動で見せていた感情は人間を真似していた」事を明らかにした事に対し、どのような意図があったのかを考えてみたいと思ったからです。本来ならばこのタイミングで今まで見せてきた行動と矛盾するような描写を挟むことはそれらの行動をひっくり返して根本から否定するような、意味のある事ではありません。(本作にはそのような要素が散見されていたとはいえ)

 そこでこのような展開にして、制作者たちは一体何を伝えようとしたのか自分なりに咀嚼した上でちゃんと評価したいと考えたためこのような時期になりました。

 

考察

 まずエボルトは、地球外生命として数々の惑星を滅ぼしてきた種族の一員でした。火星を滅ぼした後でターゲットを地球に定め、自分の真の力を取り戻す為に地球の権力者たちの頭上にパンドラボックスという禁断の果実をぶら下げて戦争を引き起こすことにより、科学の粋たる兵器として仮面ライダーを鍛える事にした、創世記における蛇の役割を担っているとも言える存在です。その後戦争がエスカレートすることにより、戦争を始めた者、戦争責任を負う立場に在る者達は殆ど消えてしまいました。

ここからは個人的な推測になるのですが、このままでは「悪い怪人であるエボルトを倒す」事で話に幕を引くことになってしまい、戦争を引き起こした人間の罪の責任を取れるものはいなくなってしまい宙ぶらりんになる。これを良しとしなかった製作陣は、ビルドジーニアスという一人の天才が作り出した科学の結晶により人外の客人たるエボルトを「人間」に堕とし、戦争を引き起こした罪を彼に引き継がせる事で人類の罪科の禊とし、平和な新世界を作り出したものとしたのでは無いかと考えています。この仮説に基づけば、序盤でエボルトが言っていた「科学の力は考える能力を奪い全てを滅ぼす」という彼の信条通り、科学の象徴たるジーニアスがエボルトのハザードレベルを上昇させ、ロストボトルにより究極体の極地へと至らしめるという結果になっているわけです。

 

 しかし、御存じの通り最終回でエボルトは桐生戦兎と万丈龍我の力が合わさって誕生した「ラビットドラゴン」の前に破れます。これらの事象を総合して考えると、

仮面ライダービルドという作品は“人間“の科学がエボルトにさらなる力を与えたという事に対し、科学の必要性を肯定しきれずに人の絆で全てを解決させた」という感想を抱きました。繰り返しになってしまいますが、科学は人類や社会にとって本当に善いものなのかという問いから論点をずらしていたように見えたのは、正直な所残念に思えました。