廃虚

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『ガンダムSEED』シリーズを観ていたら最近流行のアニメとの違いについて考えさせられる事になった

 

 

 Amazon Primevideoで『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの配信が始まったようですね。当シリーズは2作目の『Destiny』がよく燃えたらしい、という印象が強くやや敬遠気味でしたがこの件で遂にちゃんと視聴する機会を得たという次第です。

 

 まずは感想からになるのですが、SEEDシリーズ全体として『都合の良すぎる、耳障りの良すぎる考え方を鵜呑みにすると破滅する事になる』というメッセージを一貫して伝えようとしていたように感じられます。ブルーコスモスの理念やデュランダル議長のロゴス排斥演説やディスティニープランの思想は確かに世界を「世界に戦争をもたらす悪党」と「悪党を倒す正義の味方」に二分した上で、マジョリティに対して貴方達は後者であり平和を求める側であると言い聞かせ安心して敵を排除させる非常にシンプルなもので有ったため、とても心地よく素晴らしく聴こえる事は否定できません。現実でもこういう論法に陥ってしまっている人はいないと思います。しかし私は自分の価値観でなく社会的正義を拠りどころとして人を傷つける免罪符にする考え方には同意できません。自分の価値観に従っていれば法を破って良いという訳ではありませんが、自由意思を放棄して社会に同調しきった行為には自分に責任が伴わない為、行動の結果を社会のせいにできる。それ故に卑しい行為だと思います。

 SEEDは遺伝子操作されたコーディネーターと普通の人間であるナチュラルという対立構造から始まった闘争に対して各々がどう関わっていくかという個人の視点が強調されており、Destinyではマスの視点から政治思想や社会制度への切込みが多かったと思います。

 それが原因で個々のキャラクターの行動原理がわかりにくくなった面はあると思いますが、消費されるだけの娯楽にはならないという姿勢は感じました。

 機械面では、ガンダム等のMSないしはMAのハード的な運用をされている描写が兵器としてしか見られず、戦争以外にはテクノロジーの発達があまり観られない感じがあったのは少し残念だなと思いました。

 最後に少し話が飛躍する事になってしまいますが、この作品を視聴してからここ数年の人気が出た作品を思い起こしてみるとどうにも皆、社会の中で起きている問題に興味が無くなって内向きに夢のヒーローが活躍する夢の楽園的なものが人気になっているのかなと思えてきました。『SSSS.GRIDMAN』等がいい例です。

ただ、こういう流れになっているのは理想像として規定されている「人間とはかくあるべし」的な価値観を求め、自分がそうなろうとする事に皆が疲れてしまった面もあるのかなと思います。

先程言ったようなコンテンツを娯楽として消費する事自体を否定するつもりは毛頭無いのですが、社会に対して何も考えも持たず、何の努力もせず、寄与していく意思も見せずに自分に都合の悪い事が起きるのは全部誰かのせいだと思うのはとても勿体無いと思います。 

現実から逃げてるのは結局自分が可愛いだけの証拠ですから。