廃虚

Twitterやってます @ball_g_angel

我々は我々が注目するものになっていく 遊戯王VRAINS 94話 『猛る魂』感想

 

 今回のVRAINSは草薙さんを利用して消滅させたライトニングに激昂したソウルバーナーが通りすがりのボーマンに怒りをぶつける回でした。なんだかワンピースみたいな泣き方ですね。

 

 ハイドライブリンクモンスターの自分と同属性のモンスター効果を無効にする効果で転生炎獣の動きを封じ、《ハイドライブ・プロテクション》でリンクマジックとリンクマジックを守ろうとする、ある意味セオリー通りな運びをするボーマンに対し新しいフィールド魔法《転生炎獣の神域》でモンスターを効果対象にさせない蕎麦。

 ジャックジャガーからベイルリンクスを出しモルを出しサンライトウルフ、ヒートライオとよく観る展開を行い、ハイドライブプロテクションをデッキにバウンス。

 

因みにこの時フィールドから離れた時の効果としてツイン・ハイドライブ・ナイトが当ターン効果で発動されないと説明されていますが、フィールドから離れる効果は非公開領域であるデッキに戻ったときには発動しない可能性が高いです。(遊戯王wiki「離れる」参照 http://yugioh-wiki.net/index.php?%CE%A5%A4%EC%A4%EB

 

 ヒートライオでハイドライブを破壊された返しにリンク3の【パラドクス・ハイドライブ・アトラース】をリンク。サイバース世界を破壊したモンスターを目の前に不霊無も怒りを隠せない。賽を振る電脳世界の神の行方は。

 

 ここからは個人的な感想になりますが、ソウルバーナーの回想においてプレイメーカーや草薙さんと親睦を深めたりトラブルを乗り越えた等のイベントが特に無かったなあ、という気持ちになりました。彼らは基本的にトラブルを自分で解決してきたので、そういうイベントを作れなかったのかもしれません。

 また、ボーマンに対して「歯向かう相手を問答無用で消してきた」と言いましたが、そういう本人もたった今気に入らないボーマンを消そうとしている。しかもPlaymakerから情報が入っているなら、今の彼が草薙さんの弟を拐った時とは全く違うような考え方を持っている事も知っている前提でボーマンの言い分を無視しているのはソウルバーナー自身にブーメランが跳ね返っているのではないでしょうか。既に人類にとって有害なウィンディも消していますし。

 思い込みによって物事の悪い面だけを見て、因果関係を無視して結びつけてしまうのはマスメディアを見ていると思い当たる節がいくらかあるので、因果関係の有無は気を付けて判断しなければならないですね。

 正直に言ってライトニングの思惑で世界の神になる運命を背負わされ、ライトニングの策略の結果ヘイトを貰うボーマンが哀れに感じる今日この頃でした。 

 

 

 

 

『けものフレンズ2』9話 、そんなに酷いですか?

 

  1期の監督を担当されていたたつきさんをはじめとしたヤオヨロズ降板以降、色々な意味で話題になることが多かったコンテンツという印象だったけものフレンズ2。その9話において主人公のキュルルのイエイヌに対する態度が酷い等という事でとても批判を受けていました。私は1期は視聴していたのですが、2017年9月25日以降、9割方不毛な争いがしばらく続き、嫌気が差したのであまり関わりたくないなあという思いが最近までありました。

 しかし今回のここまでの燃えかたは流石に異常過ぎると感じ、視聴した上でここに至るという訳です。

 

 今回特に不満に挙がっていたのは

 

  1. 一緒に暮らしていたヒトの帰りを待っており、ヒトの為に一生懸命尽くしていたイエイヌに対してキュルル達が何も反応しなかったこと
  2. そんなイエイヌが「おうちにおかえり」と言った事に対してキュルルがそのように返し、「イエイヌと一緒に行く」と言わなかった

 

        インターネットでの評判を見たところ、この2つがイエイヌに対して非情であり、キュルル達が冷血だというのが主な不満として言われていました。

1に関してはカラカルが確かに辛辣なニュアンスの発言をしていましたが、これはキュルルがイエイヌの依頼によって一方的に連れ去られ、そのイエイヌがビーストに苦戦しているのを観れば「ヒトを守る」と言っていたのに不甲斐ない、と感じるのもカラカルの立場なら仕方ないかと思います。

 2つ目については、持論になるのですがキュルルはイエイヌの待ち望んでいた「ヒト」ではありません。それ故にキュルルにはイエイヌに尽くされる理由は本来無い訳です。しかし、イエイヌのそこまでの描写を観ればキュルルの事を大切にしてくれる事はある程度想像がつくでしょう。しかし、尽くされる理由が無いにも関わらず、相手の善意を理由にその恩恵に与るというならばそれは搾取です。ならば、キュルルが取った行動はイエイヌに対して最も誠実な行為だったと言えるのではないでしょうか。

 その上で、この話では制作者達は犬が勝手な人間の都合で放置され、保健所に連れて行かれた後に殺処分されるという事への批判を暗示したかったのでは無いでしょうか。ちなみに環境庁の統計資料によると犬・猫の殺処分数は現象傾向にあるようです。

 

https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/statistics/dog-cat.html

 

 今まで安全地帯から眺めていたのに何を偉そうに、と思われる事は承知の上で申し上げるならば、私は少なくともこのエピソードからは動物を大事にしたいというKFPの理念は感じられました。個人的には『けものフレンズ2』はキャラクターの辛辣な発言が増えた程度で、「動物について興味を持って貰う」為のハブとして役割を果たしているんじゃないかと感じます。

 否定的な意見がよく見られる本作ですが、作品の裏に込められた意味を理解した上で否定的な意見を言うならば、先ほど書いた通り作品としての色が違うので仕方ないとは思います。ですが、ヤオヨロズ降板諸々憎しで全てを悪いように捉え、公式だけでなくけものフレンズ2を肯定的に見ようとしている方々にまでも誹謗中傷を行う事はハッキリ言って時間の無駄です。お互いにとって不幸な事だと思います。

 そんな訳で、流石に今の『けものフレンズ2』は酷い作品だから好きなだけ叩いて良いという風潮は違うんじゃないかと思いました。時間の許す限り他のエピソードも見ていきたいと思います。

 

 

 

Playmaker英雄伝説 遊戯王VRAINS 93話『交わした約束』感想

 

ど、どうしたんだいPlaymaker君急に大きい声を出して…

 

 

 今回のデュエルは、ゼロデイを送りつける事でリンクモンスターを弱体化+効果ダメージを狙う草薙さん兄に対して3/19発売のスターターデッキ2019に収録される《デコード・トーカー・エクステンド》のリンク先モンスターが墓地に送られた時に発生する連続攻撃効果と《デコード・エンド》の相手の場のカードを全て破壊する効果で決着を付けました。新規カード登場前にアニメで登場させた事、相性のよいカードと組み合わせて使った事自体は純粋に良かったと思います。

 

 今回はPlaymakerが、草薙さんのお兄さんがライトニング一派との決戦前に自分達兄弟よりも人々の英雄として、人類を救う大義の為に戦うよう約束していた事を思い出すシーンがハイライトだったようです。

こういう大事な意思表示シーンは先に入れておいた方が良かったのでは、という思いと、先に入れてしまったらこの約束を忘れていたPMが余計間抜けに見えてしまう、という思いが葛藤しているなあ、という感じです。

 また、この件で明確に正義のヒーロー街道にお膳立てされた遊作ですが、過去にただの一人の決闘者として描かれていた不動遊星が無敗の英雄、人々の希望のように扱われるようになってから本当につまらない人物になってしまったのを想起させます。これは私の持論なのですが、今まで私が遊戯王シリーズを観ていて面白いと感じたデュエルは、対戦者達が自分と相手しか視界に入っておらず、当事者だけの世界に入っている事が多いので、神話の英雄としての文脈と完全に自分と対戦相手の為だけに行われるべきゲームとでは噛み合わせが悪いのではないでしょうか。

 

 次回、草薙さんの弟のお兄さんを人質に取った事に激昂したソウルバーナーはその怒りを特に何もしていないボーマンに向けて決闘するようです。ボーマンの事は好きでも嫌いでも無いのですが、ライトニングの行為によってまた逆恨みの対象となったボーマンの圧倒的もらい事故感に、私は最近同情し始めています。

もうすぐ3月も折り返しですがライトニング一派戦はまだ続く。

『ガンダムSEED』シリーズを観ていたら最近流行のアニメとの違いについて考えさせられる事になった

 

 

 Amazon Primevideoで『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの配信が始まったようですね。当シリーズは2作目の『Destiny』がよく燃えたらしい、という印象が強くやや敬遠気味でしたがこの件で遂にちゃんと視聴する機会を得たという次第です。

 

 まずは感想からになるのですが、SEEDシリーズ全体として『都合の良すぎる、耳障りの良すぎる考え方を鵜呑みにすると破滅する事になる』というメッセージを一貫して伝えようとしていたように感じられます。ブルーコスモスの理念やデュランダル議長のロゴス排斥演説やディスティニープランの思想は確かに世界を「世界に戦争をもたらす悪党」と「悪党を倒す正義の味方」に二分した上で、マジョリティに対して貴方達は後者であり平和を求める側であると言い聞かせ安心して敵を排除させる非常にシンプルなもので有ったため、とても心地よく素晴らしく聴こえる事は否定できません。現実でもこういう論法に陥ってしまっている人はいないと思います。しかし私は自分の価値観でなく社会的正義を拠りどころとして人を傷つける免罪符にする考え方には同意できません。自分の価値観に従っていれば法を破って良いという訳ではありませんが、自由意思を放棄して社会に同調しきった行為には自分に責任が伴わない為、行動の結果を社会のせいにできる。それ故に卑しい行為だと思います。

 SEEDは遺伝子操作されたコーディネーターと普通の人間であるナチュラルという対立構造から始まった闘争に対して各々がどう関わっていくかという個人の視点が強調されており、Destinyではマスの視点から政治思想や社会制度への切込みが多かったと思います。

 それが原因で個々のキャラクターの行動原理がわかりにくくなった面はあると思いますが、消費されるだけの娯楽にはならないという姿勢は感じました。

 機械面では、ガンダム等のMSないしはMAのハード的な運用をされている描写が兵器としてしか見られず、戦争以外にはテクノロジーの発達があまり観られない感じがあったのは少し残念だなと思いました。

 最後に少し話が飛躍する事になってしまいますが、この作品を視聴してからここ数年の人気が出た作品を思い起こしてみるとどうにも皆、社会の中で起きている問題に興味が無くなって内向きに夢のヒーローが活躍する夢の楽園的なものが人気になっているのかなと思えてきました。『SSSS.GRIDMAN』等がいい例です。

ただ、こういう流れになっているのは理想像として規定されている「人間とはかくあるべし」的な価値観を求め、自分がそうなろうとする事に皆が疲れてしまった面もあるのかなと思います。

先程言ったようなコンテンツを娯楽として消費する事自体を否定するつもりは毛頭無いのですが、社会に対して何も考えも持たず、何の努力もせず、寄与していく意思も見せずに自分に都合の悪い事が起きるのは全部誰かのせいだと思うのはとても勿体無いと思います。 

現実から逃げてるのは結局自分が可愛いだけの証拠ですから。

 

 

 

 

 

 

~悲運の再会~遊戯王VRAINS 92話 『大いなる試煉』感想

今回は草薙さんの弟を人質にされた草薙さんがライトニングの傀儡としてPlaymakerに対して決闘を挑む回でした。

 まず、前回破れた葵はアクアと共にボーマンに吸収されます。ゼアルの時にドンサウザンドに吸収されたバリアン七皇を彷彿とさせますね。

 そして遊作はDen Cityのような場所に飛ばされ草薙さんと決闘になりますが草薙さんの弟を人質に取られている為、本気で闘う事ができません。

 果たして草薙さんと遊作が交わしていた約束とは。今まで事務的な会話しかしていなかったので、果たしてどのような内容なのか想像もつきません。

 

他人を平気で振り回す迷惑な人たち (SB新書)

他人を平気で振り回す迷惑な人たち (SB新書)

 

 

                      感想

 

 ライトニングはボーマン一派が減った事に対する補充要因として草薙さんを用意した訳ですが、やはり唐突感は否めません。本気でライトニングが負ける目を潰したければ早期から草薙さんの弟をダシに草薙さんを利用してスパイに仕立て上げれば良い話であり、そこはやや浅慮だったかと感じます。

  草薙さんの使用デッキは【コードブレイカー】。モンスターは戦士族のようであり、今の所はリンク2の【ウイルスソードマン】で相手リンクと相互リンク状態にして相手の場にモンスターを送りつける事で弱体化させていくデッキと言う印象です。個人的には相手のリンクモンスターにかなり依存するので需要は無いかなあと思います。

 

 遊作は復讐仲間として永遠の絆を誓い合った草薙さんを相手に決闘することを躊躇っているようですが、その直前に「いつかこの日が来る事は解っていた」とも言っています。遊作としては草薙さんの弟を人質に取られた時点でこういうケースが起こりうる事自体は考えていたのでしょうが、実際に起こると狼狽してしまう辺りに彼の決闘に対する受け身で主体性に欠けるスタンスが現れている気がします……。まあ、ハノイの騎士に書きかけのプログラムコードを送っていたのでそれで何かしらさせるつもりなのでしょう。多分。

 

自分が正しい!遊戯王VRAINS 91話 『誇り高き乙女』 感想

これは……ハートアースドラゴンの時に見た!

感想

 

今回の遊戯王VRAINSはブルーメイデンとボーマンの決闘の続きでした。バブルボムのバーン効果でボーマンのライフを削りきる事に失敗したメイデンに対してボーマンは同じ属性のモンスター4体をリンク素材とする《テッセラクト・ハイドライブ・モナーク》をリンク召喚します。このモンスターは

  • 自分と同じ属性を持つ相手モンスターの効果を無効にする
  • 攻撃時に自信と同じ属性を持つ相手モンスターを墓地に送り再攻撃する

効果を持っていました。

ブルーメイデンは罠の効果で自分のリンクモンスターを全て除外する事でこの追撃を防ぎます。(ちなみにクリスタルハートの効果耐性はEXゾーンに存在する時のみなので、クリスタルハートの効果も無効になる

 

その後メイデンはリンク4を特殊召喚し、フィールド魔法《バトルオーシャン》の効果で効果耐性を与えた上でデスラプトを破壊しますが、テッセラクトは蘇生され、攻撃力は2倍になり6000に。その後も抵抗しましたがメイデンは敗北しました。

 

かかわると面倒くさい人 日経プレミアシリーズ

かかわると面倒くさい人 日経プレミアシリーズ

 

 

 そういう訳で今回はボーマンの初勝利となった訳ですが、ボーマンを前にブルーメイデンこと葵が立ち直ったきっかけが親友の為ではなく、自分の兄の為だった、という事もあり、自分勝手な理由で一喜一憂しており、勝手に踊っているという印象を受けました。彼女は一貫して「スペクターの考えを理解しようとせずに一方的に救うと言う」「美優の件で責任が有るとは言えないボーマンに対して高圧的な態度を取る」など独善的な態度が描写されている為、製作陣も恐らくそういうキャラクターとして考えているのだとは思います。今後蘇ったらどういう風に着地していくのでしょうか。

 

次回はPlaymakerと謎の人物との悲運の再会が起きるようです。とうとう92話ですね♪

 

 

 

 

~信じたものは救われる~『遊戯王ZEXAL』感想

遊戯王OCG20周年を迎えていたようですね。(ここぞとばかりにアピール)

 

折角なので自分も何かやろうと思った結果まだ当ブログでしっかり「遊戯王ZEXAL」については触れていないと思い、自分の意見を纏めてみる事にしました。

 

 https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/yugioh-zexal/sp/

 

 当作品はシリーズ4作目として2011年4月から放送され、主人公の九十九遊馬と謎の生命体アストラルが【No.】というエクシーズモンスターを集めていく……という事で始まりました。シリーズの中でも最もオカルト色の強い作品であり、肉体と精神の2元論を意識していると思われるアストラル世界とバリアン世界、そしてオーバーレイユニットと呼ばれるエクシーズ素材と、無機物からモンスターの姿に変形していくNo.として現れているのかと思います。

 

そんな本作ですが、個人的には遊戯王シリーズの中で最も疑問符が付く作品です。これには主に2つの理由があります。

 

1. 「カードゲーム」定義の独走

 

ZEXALは初期から「初心者向け」という方向性が打ち出されており、当初はフィールド全体のカードを俯瞰して見せたり、ルールの解説をしたりするなど丁寧で、とても良い方向に動いていたと思います。しかし途中から

  • オリハルコン・チェーン》や《トライアングル・イヴォルヴ》などのエクシーズ召喚の素材を踏み倒すカードの濫用
  • キャラクターの使うテーマデッキが殆ど「モンスターを並べてエクシーズ召喚を行い、それを装備魔法で強化したり罠で守る」デザインがなされており、デュエル展開に個性が欠けていた
  • シャイニングドローという使用者が恣意的にドローするデッキのカードを変更する行為を主人公が乱発している

 

 これらが目立つようになっていき、最終的にはカードゲームではなく召喚獣プロレスへ刷り変わってしまいました。

3つ目のシャイニングドローに関しては

「特別な相手にしか使っていない」

「カードゲーム作品での御都合主義をシステムとして可視化したに過ぎない」という意見をよく目にします。これらに対して私は「特別な相手だからといってキースのようにデッキトップのカードを摩り替えるイカサマを認めるべきではない」と思っています。付け加えておくならば、私はデッキ外から直接カードを加えるアプローチとしてセイヴァードラゴンもAカードもストームアクセスも好んでおりません。

 

2 キャラクターの排外的思想

 

 この作品の主人公である九十九遊馬は自身を裏切ったベクター達に対しても救いの手を差し伸べた事が原因として多数の視聴者から「菩薩」「遊馬先生」と呼ばれています。

 しかし、本当に彼はそう呼ばれるに足りる人物なのか私は疑問に感じています。何故なら、先生が救おうとしたのは自分が身内だと感じている存在だけだからです。

 「諦めなければ誰とでもわかり会える」と口では言っていましたが、元々はアストラル世界から追放された被害者とも言えるドン・サウザンドに対しては最初から倒す気満々の姿勢を見せており(126話)、結局最後まで彼とわかり合おうとする努力は見せませんでした。

 私は学級会は現実から乖離したべき論に終始してしまうので好きではありません。そして、コミュニティの平和を保つ為に、その平和を壊す存在を排除する必要性は肯定しています。しかし正直この「身内だけ無事ならば他の人間からはあらゆる権利を奪おうが知ったことではない」という先生の態度は諸手を挙げて賛成できるものではありません。ある意味ドン・サウザンドは『平和』の為に犠牲になった殉教者です。同様の理由でアークファイブの主人公遊矢がダブルスタンダードであるとよく避難されますが、その時に同じような行動を見せた先生を菩薩と呼んで持ち上げられる理由が私には全く理解できません。

 こういう内向きな考え方は原作にも見られたとは思いますが、ZEXAL以降の遊戯王シリーズで極端化したように感じられます。余所者は殺せ。まるで彼らは劇場版遊戯王のプラナのようです。

 

 以上のように述べましたが、私は序盤のZEXALにはテンポこそ悪いものの丁寧に話を進めつつ、カードアニメをやろうという姿勢を感じていました。10話~12話のシャーク周辺のエピソードは私も好きです。最初に挙げたオカルト要素の濃さも相まって、元々持っていたポテンシャルを生かし切れなかった事が残念で仕方ありません。CXやオーバーハンドレッドナンバーズなどを出しておきながら、結局No.が50半分近くしか出ずに、KONAMIに尻拭いをさせた事には最早何も言うべき言葉が見付かりません。敢えて言うならばこれらのカードを正規No.として出しておけばもう少し数を埋める事が出来たのかな、とは思います。